入院中の内省によって天命を知る。(その2)
私は病室のベットに起き上がり,メモ帳を準備して内省を始めました。
自分が記憶している最も幼少期から思い出していくのです。
私の場合は愛媛県の宇和島市の和霊神社で母とお弁当を食べているところです。
おそらく4歳になったばかりだと思います。
この時どんな感じだったかを感覚として思い出します。
母と一緒に気持ちの良い木陰にシートを敷いて俵型のおにぎりを食べて幸せな気持ちがよみがえりました。
次に古い記憶は父が出来立てのてんぷらをいっぱい買ってきてそれがものすごくおいしかったことです。
てんぷらとは普通のてんぷらではなくてこちらでいうさつま揚げのような魚のすり身を揚げたものです。
これは味として記憶しているのでかなり幸福な感じが鮮明によみがえります。
こんな感じで一つ一つ思い出していくのです。
メモには「和霊神社」とか「てんぷら」とか書いておきます。
記憶は前後していることが多いので,メモにゆとりをもって書いていきます。
私は朝の回診,食事,シャワー後の10時前から初めて,お昼までで小学校入学までしかできませんでした。
こんな感じで午後は小学校時代をやりました。
翌日は中学,高校,大学までやりました。
その次の日は就職して20代のころ,結婚も含まれます。
その次の日は30代の子育て期,そして42歳で癌になって闘病して今この東大病院にいる現時点までやりました。
これをやったことでわかったことがいくつかあります。
それは「計量して何かを作る」ということをかなり長い間やっているということです。
幼いころのおかし作り。
大学時代の実験,研究。
就職先での検査,実験。
子育て時のパン作り。
これらに当てはまるキーワードは「正確に」です。
正確性が必要とされる分野を普通にやっていたということです。
まだまだいっぱいわかったことがありますが,きりがないのでもう一つだけ書きます。
「この癌は,私の人生のテーマである」
ということです。
内省していくと結構幸せなことがありました。
この癌によって私の幸せは記憶の中によみがえったのです。
この癌は簡単に治るものではありませんでした。
この癌によって私,旦那,子供,両親,友人・・・私が愛して私を愛してくれた人たちに衝撃を与えました。
私がこの後死んでしまっても,やはりこの癌は私のテーマであったと思います。
もし,死ななかったらこのテーマの事をやらなければいけません。
これが人生のテーマなのですから。
こんな感じでこの退院延期時に行った内省によって,今後の道筋(意識していく事)がなんとなく見えてきたのです。
そして今,あなたにこのブログを書いているのです。