子育てと闘病を両立する方法。

大腸がんステージⅣの闘病と子育てを両立させ最終的に完治した闘病記を記します。

旦那と旦那の母と子供たち

やっと退院してきました。

懐かしの我が家です。(トムとジェリー?)

岐阜おばあちゃん(旦那の母)が迎えてくれました。

そういえば旦那の母といえばカレーうどんを思い出します。

あれは術後ICUを経て,一般病棟のナースステーションの前の部屋を経て,4人部屋に移ってきた日です。

4人部屋に移ったからといって私は動けるようになったわけではありません。

昨日までトイレも看護師さんに支えてもらっていたので,この部屋で生活できるのか不安な時でした。

その日動きすぎたのでしょう。

夕方痛みがきつくなったので硬膜外麻酔を先生に多く流してもらいました。

そんな時旦那からメールが来たのです。

それも立て続けに何通も来たのです。

「何事!!」

と思って携帯に飛びつきました。

そしたらこんな内容でした。

「今,晩御飯でカレーうどん。」

「ゆですぎたうどんの上に昨日のぼたっとしたカレーが載っている。」

「汁気が全くない。」

「これは酷い。」

「これはカレーうどんではない。」

「子供たちも顔がゆがんでいる。きっと嫌なのだ。」

「でも子供たちは食べ始めた。」

「俺は無理。」

「醤油で食べる。」

こんなばかばかしい内容でした。

私は痛すぎて硬膜外麻酔を多くしてもらっているときにこんなバカげたメールが来たのでした。

しかも旦那は相当怒っているようで文面に怒りが表れていました。

あれから7年経った今でもカレーやカレーうどんのたびに必ず誰かが,

「岐阜おばあちゃんのカレーうどんは凄かったね。」

「お父さん怒っちゃって醤油でうどん食べたね。」

「僕ら仕方がないから我慢して食べたよね。」

といいます。

しかし考えてみたら岐阜おばあちゃんは幸せ者です。

カレー,あるいはカレーうどんのたびにひとしきり我が家では岐阜おばあちゃんの話で盛り上がるのです。

4人の祖父,祖母の中でダントツに岐阜おばあちゃんは子供たちの心に刷り込まれているのです。

話を戻します。

懐かしの我が家に帰ってきたら,岐阜おばあちゃんが笑顔で迎えてくれました。

ひとしきり話をして,2階へ行きました。

するとびっくりしました。

だだっ広いワンフロアーの2階を旦那が壁で仕切っていたのです。

旦那は大工さんではありません。

しかし,大工さんを頼んだのかと思うほどの出来栄えでした。

子供たちは部屋が欲しい年齢ですが,私の病気で改築は延び延びになっていました。

しかし,私が手術中に改築を決行して,しかも自分でやってしまうとは。

ある意味旦那にとっては時間ができたのでしょう。

病気の私がいないし,岐阜おばあちゃんが来て子供の世話も頼めるようになったので。

仕事が終わってうちに帰って大工仕事をしてさあ夕飯というときに,ぼてっとしたカレーうどんで悲しかったのでしょう。

そんなことを考えながら出来立ての子供部屋のベットに横になりました。

ある程度回復するまでこの部屋は私が使うことにになりました。

やはり術後は布団よりベットが楽なので。

明日は私の母(新居浜おばあちゃん)がやってきます。

しかしその後試練が待ち受けているのです。