友達が癌に⁉ 癌雰囲気とは?
私の癌人生の始まりは友達のNさんの癌でした。
そのころ私は42歳。3人の子供達は上から小学校6年生,1年生,年少でした。
Nさんは子育て仲間で,子供は小学校5年生,2年生の2人でした。
上の2人がほとんど同い年で性別も同じだったので,私たちはとても仲良くお泊りしたりの間柄でした。
普通の幼稚園ではなく自主保育に通っていたので親の私たちも公園を駆け回り子供と遊んでいました。
2006年の秋,彼女が乳がんである事がわかったのです。
子供がまだ年少の母である私たちはなんとなくまだ若いと感じていました。
そんな私たちに癌という言葉が初めて飛び込んできて稲妻に打たれたような衝撃が走りました。
そのあとに訪れた感覚は恐れの感覚でした。
彼女死ぬかもしれないの?
彼女の子供たちはどうなるの?
頭がぐるぐる回る中,私たち子育て仲間は手分けして出来る事をしました。
それから何人かの友達がNさんを病院に連れて行ったり,子供を預かったりしました。
Nさんを助ける5人の仲間のようなものが出来上がりました。
何件か病院を回り診察してもらった結果,ステージ1とステージ2の間である事,手術して放射線治療すればほぼ確実に治ることがわかりました。
また,地元に乳がん治療で有名な病院がある事,その医師の名前もわかり,その先生の予約を取りました。
乳がん発覚から1~2か月で最良の治療ができることになり,私たちは一安心をしていました。
ところが診察の日の2,3日前だったでしょうか,Nさんが突然診察に行かないと言い出したのです。
マクロビで治すのでマクロビの病院に2週間入院する,と言い出したのです。
そのころ私たちの間でマクロビや自然療法が流行っていました。
でも癌でマクロビはないんじゃない・・・。
私たちはびっくりして何とか説得しましたがNさんは行ってしまったのです。
彼女の西洋医学を完全に排除した選択に私たちは戸惑いました。
その後も説得したりしましたが彼女の意志は固く治療を拒みました。
Nさんはそれから7年後に亡くなりました。
結果的に何が正解だったかはわかりません。
西洋医学的に手術,抗がん剤治療をしても同じだったかもしれません。
彼女は元気な時間が多かったと思います。
抗癌剤をやらなかったからかもしれません。
だからどんな方法がいいかはその人,その人で違うと思います。
ただ,思い出すのは・・・。
彼女はいつも笑顔で,「ありがとう」が口癖でした。
今この記事を書いていると,笑顔の彼女の顔が思い浮かんできます。
あの時,私たち5人は彼女を助けているつもりでした。
でも彼女に自分たちの思い通り(西洋医学的な)の治療をさせることが助けることだと勘違いしていたのかもしれません。
でもそんな時に・・・。
私の身に大変なことが起こるのです。
大変なことは予兆があり,そのサインは色々なことを介して起こるのです。
往々にして癌は立て続けに周りで発病する人が出てくる感じがします。
実はNさんの癌の直後に大学時代の友達が食道がんになりました。
それからこの1年前に大学時代の友達の旦那さんが大腸がんで亡くなりました。
42歳で癌・・・。 まだ若いです。
私はこれを癌雰囲気と呼んでいます。
でも次は私だなんて・・・。
続きはまた。