子育てと闘病を両立する方法。

大腸がんステージⅣの闘病と子育てを両立させ最終的に完治した闘病記を記します。

緊急入院!まず何をすればいいの(その2)

昨日からの続き

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私は当時(今も)自然志向で子育ても自然派でした。

それで就学前は幼稚園ではなく自主保育に行っていて,癌がわかったときは一番下が年少でした。上2人は小学生でした。

上記の5.各子供につき3人づつ選ぶ,で実は下の子の関係では特に仲のいいお母さんはいなかったの選べませんでした。

でも4.幼稚園(うちは自主保育),に伝えたことで自主保育仲間全員が集まり子供を送り迎えするローテーションを決めてくれました。

また,4.小学校 は規模が小さかったので全体に知れ渡り,例えば子供が具合が悪くなった時は先生が家まで連れてきてくれました。


1.自分の両親,旦那の両親

2.自分の兄弟,旦那の兄弟に関してですが,

両親には病名と入院したことだけ告げ,兄弟に病状を伝えネット等で調べてもらって両親に伝えてもらいました。

若い人の方が調べ力は高いので両親からのわけのわからない電話は数回で治まりました。

そんな感じで実家でよく話し合ったうえでこちらに長期遠征で手伝いに来てもらいました。(私たち夫婦は実家がどちらも遠いのです)

最初の1か月は旦那のお母さん(私の入院中),次の1か月(手術後私が家に戻ってから)は私の母が来てくれました。

これって出産の時も同じですよね。あんな感じです。


3.最も親しい主となる子育て友達3人(自分が友達として最も親しい人,おそらく一番上の子の関係になると思う)←ここ重要

この人たちには早速次の日からお世話になりました。

旦那とこれからの様々な計画を立てなければならないのに子供達を連れて病院では長時間話せません。

それでこの3人のなかで特に親しい1人の人(Hさん)に子供達を預かってもらいました。

うちと相手の子供たちの年齢差や性別や仲良ささを考えると断然Hさんに頼みたかったのです。

Hさんは関西弁バリバリのあったかい母ちゃんのような人でうちの子供たちを自分の子供達と同じように見てくれました。

このHさんのような人を見つけられるかが闘病しながら子育てする上で最も肝になります。

Uさん,Kさんには抗がん剤が始まってからの私の送迎,Hさんのフォロー等お世話になり,Hさん,Uさん,Kさんの3人が私を助けてくれるメインの3人となりました。

うちの子供たちは,旦那,ばあちゃんたち,私の素晴らしい友人達,近所の人達,先生方,それから第二の母とも言えるHさんに10年間育ててもらいました。

特に最もきつかった最初の3年は本当に私なしで上記の人々が育て上げたのでした。

次にこの時期やるべきことの補足と実際私たちがやったことを書くことにします。