突然の闘病!子育てでまずやるべきこと(その4)
前回は④自分と最も仲の良い子育て友達3人にこれからの闘病をサポートしてほしいことを頼む。まで説明しました。
ここで私の闘病を支えてくれた3人の恩人,Hさん,Uさん,Kさんを紹介させてください。
Hさんは結局うちの子供たちにとって第二のお母さんになりました。
あの時から今は15年たったのでうちの子供たちは高校生,大学生,社会人になりました。
当時Hさんの事を「Oのおばちゃん」と呼んでいました。「O」とはHさんの長男でうちの長男と友達でした。
それがいつの間にか「おばちゃん」になって,今でも「おばちゃん」と呼んでいます。
一般的なおばちゃんという呼び方と違ってHさんを呼ぶときの「おばちゃん」は発音がなんとなく違うのです。
今でもうちの子供たちは「おばちゃんどうしてるだろう」とか「おばちゃんがこう言ってた」とか「おばちゃんの味付けは」とかよくおばちゃんの話になります。
たぶん彼らが30歳になっても40歳になっても私とおばちゃんはダブるでしょう。
次にUさんも私ととても仲の良い友達ですが,一番上の子の性別が違うのでU家とうちの子供達だけではいまいち遊びが盛り上がりませんでした。
なのでHさんのフォローみたいな役割を担ってくれました。
H家とU家とうちの子供達で合計9人で土日は公園で遊ばせてくれました。
ほっとけば9人はずっと走り回って遊びますので,HさんとUさんはおしゃべりしていたとのことです。
最後にKさんですが,Kさんとは家が遠かったので子供を預けたことはありませんでした。
でもこのKさんと私は母乳育児の会からの友達で子育て友達としては最も古い人でした。
母乳育児の会に関してはグーグルで調べてください。いろんなところでやっていると思います。
Kさんは私の壮絶な抗がん剤治療に寄り添ってくれた人でした。
抗がん剤の日の送り迎えはほぼすべてKさんがやってくれました。
このように闘病を支えてくれたHさん,Uさん,Kさんのような人が普通は簡単に見つからないかもしれません。
そんなに仲良くしていたわけでもない人に自分の闘病を支えてくれとは言えないかもしれません。
そんな時には自治体の子育て支援センターに相談してみてください。
おそらく保育ママのような人が登録されていると思います。
そこでHさんのような人を見つけるのです。
要はお金で解決するのです。
でも保育ママは子育て経験の豊富な人が多いのでお願いしているうちにきっと第二の母のような人になっていくと思います。
⑤各子供につき3人のサポートしてくれる人を見つけお願いする。
これは特に仲の良い人でなくても大丈夫です。
ですが各子供と同じクラスとか,すぐ近くの人とか物理的に近い人でなければいけません。
旦那が保育園に迎えに行けなくなった,とか小学校の引き渡し訓練に行けない,とか急に都合がつかなくなった場合に頼める人です。
自分が癌で闘病しなければならないということを伝えれば,そんなに仲の良い人でなくても引き受けてくれると思います。
子育て支援センターの保育ママも予約制なのでこのような急に都合が・・・という場合には対応できないと思うのでこのような人たちは必要です。
今思いつくことはこのくらいですが,また随時追加します。