子育てと闘病を両立する方法。

大腸がんステージⅣの闘病と子育てを両立させ最終的に完治した闘病記を記します。

癌だからって無理しすぎたかも。決死の運動会

昨日の続き
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仕方なくそのまま病院に帰り,ベットに横になりました。どっと疲れました。

入院から2週間絶食ですから仕方がありません。

ゆっくり休もうと思ったところへ旦那からメールが来て。

「運動会は明日に延期になったが,明日少しだけでも来られないかI先生に頼んでみて」とのこと。

私は体力的にはきつかったのですが子供のためと思うと頑張らねばと思ってしまい,I先生に頼んでみました。

I先生は「じゃあ3時間だけ外出しよう。手術前日だから無理しないように」

と言ってOKしてくれたのです。

その時看護士さんは「こんな事ありえないよ。だって前日の浣腸とかもろもろの処置があるのに。I先生は子供思いだから・・・。」

今思い起こしても無謀なことをしたと思います。

何よりも私の心の奥では「しんどい」と思っているのに「子供のためにもう最後かもしれないから」という葛藤で頑張る方を選んだことに私の性格が出ていると思います。

子供のための思いで作りより自分の気持ちを優先せよ!

とあの時の私に言ってやりたいです。

でもまあ頑張って参加したことで,子供たち,旦那,2人のおばあちゃん,Hさん,Uさん全てがなんとなく満足げなのを見てなんか納得して病院に戻りました。

病院に戻る時私の母を見たら少し悲しくなって涙目になってしまいました。

病院に戻ったら明日の手術が怖いとかなんとか感じる暇もなく,術後のICUへもっていく荷物とか浣腸とか大急ぎでやっているときに。

なんとUさんが母を連れてきたのです。

「どうしたん?お母さん」とびっくりして聞くと,

「あんたが涙目やったけん,気になってUさんに連れてきてもろたんよ」

と母が涙目でやってきたのです。

もう私は気持ちを切り替えて手術に準備に邁進していたのですこし 困りましたが,

「お母さん,とにかく明日の手術のためにやらないかんことが山ほどあるんよ。ほんだらお母さんも手伝どおてくれる?」

と母を現実に引き戻して再び準備に邁進しました。

全て終わって母も私を手伝うことができて満足げに帰りました。

その後浣腸による下痢が治まってから手術前最後のお風呂に入ったのですが,その時母が売店で買ってきた洗面器を見てぷっと吹き出しました。

ICUに入るためにすべての荷物に名前を書いてもらったのですが,母はその洗面器に名前を一文字間違って書いていたのです。

「さくらい」が「ざくらい」だったのです。

慌てていたのでしょう。

入院して初めて笑いました。しかもお風呂で素っ裸で。

今回言いたかったのは,周りより自分の気持ちを大切にせよ!!

ということだったのですが今となってはどたばたと運動会に行ったのもよかったのかなと思います。