子育てと闘病を両立する方法。

大腸がんステージⅣの闘病と子育てを両立させ最終的に完治した闘病記を記します。

癌。誰かのせいにしてしまう自分(その2)

Nさんが癌で大変!という最中に自分はもっとひどい癌に置かされていた,ということを前回書きました。

その後半年で私が大腸癌ステージⅣであることがわかり,Nさんよりも自分の方がやばいという状態になったわけです。

もしあなたがこのような状態に陥ったらどう感じますか?

「ああ,あの時再検に行けば少しは早くてよかったかも。Nさんの事とか言い訳にせずに自分のことを第一に考えればよかった」

というのが正論でしょう。

でも私はあの時

「Nさんのせいだ!」と感じてしまったのです。

そんなの見当違いで,Nさんからすればとばっちり以外何物でもないのですが。

この時,自分の中の恐ろしく恐ろしく汚い部分が表面化したのです。

「私がこうなったのは〜のせいだ!」

と思いたいのです。(Nさん本当に,本当にごめんなさい)

この「Nさんのせいだ!」という感覚は1年くらい抜けず,自分も癌患者であるNさんがお見舞いに来てくれた時も私の顔は引きつっていました。

1年くらいたってやっと,

「Nさんのせいではない。私が大腸内視鏡の再検査を受けたくない理由にNさんをこじつけていただけだ。」

「私は1年間も何も悪くないNさんを心の中で恨んでいた。」

「というか自分が逃げていたことがわかっていたのでNさんのせいにして自分を正当化していただけだ」

「というか半年前に再検査を受けていたとしても特に何も変わらなかっただろう。大腸癌ステージⅣなのだから」

「Nさんを恨んだりして自分はものすごく嫌な人間だ」

「Nさんを恨むとか,取り返しのつかないことをしてしまった。Nさんも病気なのに」

このような気持ちになってきたら今度は自分が嫌になってきて苦しくなりました。

それで2回目に手術前に1度だけNさんに電話しました。

それで自分の心のいきさつを話して謝罪しました。

Nさんは「えっ。そうだったの。いいよ,許すよ。」と言ってくれました。

でも今思い返すと黙っていた方がNさんのためにもよかったと思います。Nさんは気づいていなかったのだから。

気づいてなかったNさんを傷つけてしまったかもしれません。

このことは今の私の心の傷でNさんがくれた花瓶を見るたびに「ごめんなさい」と心の中で言っています。

関係ないけど私は百合の花を欠かしたことがありません。

これはもしかしたらこの花瓶を使い続けたいからかもしれません。

話を戻しますが・・・。

癌になるとこのように自分の本質にあるドロドロとした嫌な自分がこれでもかというほど出てきます。

とにかく誰かのせいにしたいのです。

誰かのせいにして自分は悪くないと思いたいのです。

その次にやっぱり自分のせいだと思います。

そして自分を責めるのです。

でもちょっと待って!

癌は誰のせいでもないのですよ!

食事のせい,生活のせい,自分のせい,誰かのせい・・・。

全て違います。癌は運命なのです。

特に若い人の癌は運命なのだと思います。

そして癌自体ももとは自分の細胞なのです。

自分の癌の部分に手を置いてまず「ごめんなさい」と言ってください。

癌を敵のように思っているかもしれませんが癌も自分です。

「ごめんなさい。手術で切り取ってしまうことになりました。ここに居たい事と思います。もう手術までしか一緒に居れませんがこれまでどうもありがとう。」

このように癌細胞に話しかけるのが筋です。

結局悪いものは何一つなく,運命を受け入れ,出来る限りの事をするだけなのです。