フォルフィリ+アバスチンと子供たちの笑い声。(その1)
なぜか抗癌剤フォルフィリ+アバスチンの事を思い出すと,それにくっついて子供たちの笑い声が聞こえてきます。
私の人生で最も辛かったフォルフィリ+アバスチンと子供たちの笑い声がなぜリンクするのか深く考えていませんでした。
しかし,このブログを書き始めて,今まさにフォルフィリ+アバスチンの事を書き始めて,また子供たちの笑い声が聞こえてくるのです。
ここでこの理由を考えてみます。
といってもこの理由はわかっています。
こういうことです。
抗癌剤を受けるのは2週に1度,金曜日でした。
金曜日1日仕事で抗がん剤を病院で点滴して,針を入れたまま家に帰ってきます。
針はチューブでフルオロウラシルが入った袋に繋がっています。
土曜日はそのまま過ごし,袋はだんだんしぼんできます。
日曜日の15時ごろ,袋の中身は完全になくなり,自分で針を抜きます。
針の抜き方は初めに旦那と一緒に病院で訓練したので,自宅で自分(あるいは旦那)で抜けるのです。
まあこのような流れなのですが,ここで一番きつくて辛いのは金曜日の夜なのです。
うちは一戸建てですが,2階の半分は子供部屋予定のスペースでした。
まだ子供たちが小さかったので,長男だけはそのスペースの西側の一角に4.5帖の部屋を作っていましたが,それ以外は広い空間でした。
下の子2人は2階の東側の和室に私たち夫婦と一緒に寝ていました。
そんな時,私が癌になって入退院を繰り返し始めたので,和室はお父さんと2人の子供たちで寝ていました。
私は子供部屋予定の広いスペースにベットを置いてついたてをして過ごしていました。