子育てと闘病を両立する方法。

大腸がんステージⅣの闘病と子育てを両立させ最終的に完治した闘病記を記します。

手術日決まってさあ準備。(その2)

診察室を出た瞬間から私は携帯を取り出し様々な段取りを始めました。

帰ってから落ち着いて段取りをとればいいと思うでしょう。

しかし,受付を待つ時間,看護師さんの説明を待つ時間,会計の時間,そのちょっとした時間にそわそわしてしまうのです。

でもそわそわするっていいですよね。

不安もあるけど基本前向きです。そわそわって。

先へ先へ進みたくていてもたってもいられなく状態ですから。

私の心は手術への期待で前向きだったのです。

いい気分か?悪い気分か?と聞かれればいい気分です。

こんな感じで家に帰るまでにやったことは,

・旦那へ手術日と入院期間に関して伝え,岐阜おばあちゃん(旦那の母)の段取りを取ってもらった。

・弟に電話して日程を伝えて私の実家(新居浜)の段取りを取ってもらった

・新居浜おばあちゃん(私の母)に電話してつくばに来てもらう日にちを決めた。

・Hさん,Uさん,Kさんに伝えて,入院中の子供の事をざっくりと頼んだ。

・Hさん,Uさん,Kさんにこの手術の件をサポートしてくれている人たちに伝えてほしいと頼んだ。

・保育園,小学校,中学校に電話して,私の手術の件と,子供たちのフォローを頼んだ。

これだけの事を東大病院にいる間にやってしまいました。

3回も手術をしたら,もう手術時の子供関係の段取りはルーチンワークのようにさくさくと進みます。

最初の時は本当に大変でした。

パニックでもうどうしたらいいのかわかりませんでした。

今は,入院自体が普段の出来事で入院グッズも常備しているのでそんなに大事ではないのです。

いや,それよりも子供たちが大きくなったことが楽になった要因としては大きいでしょう。

一番下の子はまだ保育園でしたが,保育園に行っていることが大きな助けなのです。

初めの時は自主保育に行っていたので,2時からの預け先がなくて困りました。

保育園は働くお母さんにとっても大切ですが,病気のお母さんにとってもなくてはならないものなのです。

しかし自主保育に行って家族単位で密な関係を作っていたからこそ,Hさん,Uさん,Kさんと知り合えて今助けてもらっていることを思えば,自主保育的密度の濃い子育て環境に身を置くことも結局は大切なのかもとも思います。

まあ,それはおいておいて。

とにかく私はあっという間に入院,手術時の家族の段取りを取ってしまいました。

しかし,一つやれてないことがありました。

これを家に帰るまでにやってしまわなければなりません。

つくばに帰ってコインパーキングに止めておいた車を運転して,家には直接帰らずに最近近所にできたケーキ屋さんに寄りました。

手術日の前日の2月1日は一番下の子の誕生日なのです。

このケーキをどんなケーキにするかつくばエクスプレスに乗っている間ずっと考えていました。

私が入院で不在のときのお誕生日ケーキです。

子供たちが楽しい気分になるにはどうすればいいか考えました。

そこでその頃テレビでやっていた「レスキューフォース」の絵を描いたケーキを作ってもらおうと思いつきました。

今ではコストコとかで絵を描いたケーキをよく見かけますが,その頃はそんなケーキはありませんでした。

そんな時うちの近所に絵を書いてくれるケーキ屋さんが出来たのです。

ケーキ屋さんで「レスキューフォース」の絵を描いたケーキを2月1日で頼みました。

ああこれで一応全部段どったわ。

ほっと一息ついて家路につきました。