衝撃の面談後の夫婦の会話。
入院してすぐに面談がありそこで衝撃の事実が告げられました。
しかもその衝撃の事実は2つもありました。
衝撃の事実に関してはこちら(リンク)↓↓
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旦那と病室に戻り,顔を見合わせました。
お互いがっくりしています。
どちらからともなく話し始めました。
「やられたな。全く。ラジオ波焼灼法め。」
「この東大病院にもラジオ波焼灼法をやっているチームがあるよ。」
「そりゃあ。確立された方法だから。それに実績あるし。」
「私みたいに何回も再発して何回も手術する人には向かないということだね。」
「いや。そうでもないのかも。もともと肝臓がんの人なら良かったかも。」
「私は大腸癌が肝臓に転移したわけだから。適応外だったのか。」
「実際,転移癌のラジオ波焼灼法はその焼いた部分の横から再発したりするらしいネット情報だけど。」
「ネット情報は参考程度にしないとだめだね。ああ。あの時セカンドオピニオンに行っておけばよかった!。」
「でもあの状態で行けなかったよね。気持ち的にも時間的にも。」
「周りにもセカンドオピニオンの事を口酸っぱく言ってくれる人いなかったし。」
「でも,今回東大病院の前にM病院でラジオ波焼灼法受けようとしてたよね。」
「受けなくてよかったわ。ホントに。」
「それから,肺の手術もう一回するって信じられないな。体力持つの?」
「体力回復してからって言ってたよね。それより次の手術までまた抗癌剤やるかと思うと逃げたくなるよ。」
「え? やらないでしょう。抗癌剤やったらまた,アバスチンで血が止まらなくなるじゃん。」
「でも何もやらないで待ってることはないでしょう。」
「いや。そんな感じではなかったよ。すぐに手術するような口ぶりだった。」
「え?じゃあ1か月後とか?それはないよね。」
「いやそのくらい速いと俺は感じたけど。」
「えーっ。それは無理でしょう。」
「ここで素人が予測してもしょうがないよ。」
「まあそうだけど。」
「でも。もう明後日手術でそろそろいろんな処置が始まるんだから。もうまな板の上の鯉だよ。」
「そうだね。とにかくこの手術を受けるしかない。そのために来たんだから。」
「この手術が最も難しいよな。これが成功したら肺の手術で,そもそも肺の手術まで行くかどうかもわからない。」
「そうかこの手術うまくいかなかったら,もう肺もやらないか。」
「たぶんそうだろう。肝臓に癌を残したまま,肺を手術するとは思えない。そうなったらもう抗癌剤治療だけだろう。」
「この手術に意識を戻すわ。」
「意識戻さなくても,今日これからの処置で無理やり戻されるだろう。」
「首からの点滴か。あれ結構いたいんだよね。局所麻酔で意識あるし。」
「なんかそれは研修医の仕事みたいね。ここでは。M病院ではI先生入れてくれたよね。」
「いや。あの時も初めは研修医だったけどうまく入らなくてI先生が代わったんだ。」
「そうなのか。首の血管から心臓までチューブ通すって難しそうだな。」
「でもそんなの手術100としたら0.1くらいでしょう。難しさ的には。」
「そうかもね。そういえば今日この後高校の同級生が来るんでしょ。」
「そう。AさんとM子。Aさんは根津だからこの東大病院にすごく近くに住んでいる。」
「首からチューブ付けたまま会うっていうことだよね。」
「それも嫌だけど。帽子かぶってないのもいやだわ。まだ髪が生えてないから。」
「抗癌剤やめて2か月だから,まだ生えないか。」
「そっちは明日の誕生日のケーキ忘れないでよ。」
「ああ。あのうちの近くにできたケーキ屋ね。わかった。」
「おばあちゃんご飯何作ってくれるだろうね?」
「それは期待してない。あ。もう帰るわ。それじゃあ明後日また来るから。頑張れよ。」
「まだ。頑張らなくていいでしょう。チューブ入れるだけだし。じゃあ気を付けてね。」
このような会話をして旦那は帰っていきました。
この会話によって衝撃を受けて心が浮ついていたのが,しっかりと地に足がつきました。
そうです。
とにかくこの手術を受けるしかないのです。
後の事は後で考えればいいのです。