抗癌剤治療と子育て
前にも書いたと思いますが,今大学生と高校生,中学生になった子供たちに私の抗がん剤の時どう感じていたか聞いてみました。
すると,「え?。普通だったよね。ご飯も作ってたし。首からチューブが出てただけじゃん」
と言われてしまいました。
私は死んだ方がましと思うくらい大変だったのに・・・。
子供なんてそんなものなのです。
小さいころに病気で苦しんでいたお母さんを見ていて心にトラウマを植え付けたかと思いました。
実際のところはわかりません。もしかしたら何らかのトラウマは抱えていて今出てないだけかもしれません。
でも,普段見ている限りでは「そんなこともあったね」くらいです。
今,元気に生きていれば,昔病気で苦しんでいても子供にとっては特に大したことではないのです。
私の抗がん剤治療はCVポートという装置を使って,家で行いました。
CVポートに関してはこちら(リンク)↓↓
正確に言えば,金曜日にアバスチン+フォルフォックスの点滴を1日かけて病院で行い,フルオロウラシルという薬剤だけを風船のような容器に入れて点滴の針が付いたまま家に帰るのです。
そして日曜日の15時ごろ終了するので自分で抜くのです。
フルオロウラシルの風船はUさんが作ってくれたポーチ(この風船の形に沿った)に入れて肩にかけていました。
当然この期間はご飯が作れないので金曜日の早朝にカレーを作って2日間はカレーで過ごしてもらいました。
私は金曜日病院で抗がん剤の点滴を受けて,夕方家に帰ってきて2階の病室に見立てた空間で過ごします。
1階の子供たちの声やテレビの音などが聞こえる中で吐き気とともに過ごすのです。
金曜日の抗がん剤の送り迎えはKさんがずっと担当してくれました。
この時期の抗がん剤とこの後2回目の再発後の抗がん剤の期間ざっと考えても2年間くらいKさんがひたすら送り迎えをしてくれました。
1,2回都合が悪くてKさんが送迎できないときはUさんが送迎してくれました。
Uさんはさっきの抗がん剤ポーチを作ってくれた人であらゆる場面で私の闘病を支えてくれました。
この抗がん剤ポーチはなかなか優れもので私は病院の売店でこの袋が売っていれば多くの人が助かると思い病院に掛け合いました。
その2に続く。
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