子育てと闘病を両立する方法。

大腸がんステージⅣの闘病と子育てを両立させ最終的に完治した闘病記を記します。

ICG検査とMRI検査(その2)

それから数日してMRIの日。

これが結構大変な1日でした。

その日はMRIの予約が午後だったので,午前中に東大病院に行って,大学時代の友人のMちゃんと会うことにしました。

私の出身大学は女性が少なく私たちの学科には女性が3人しかいませんでした。

だからその3人はとても仲良く付き合いました。

私が癌になって1回目の手術の後,その2人はつくばの私の家までお見舞いに来てくれました。

Mちゃんは当時世田谷に住んでいましたが,もう一人のNは三重に住んでいました。

なんとNは三重から東京まで来てMちゃんと合流してつくばまでやってきたのです。

その時は抗癌剤をやっていたので,そんなに長くは話しませんでしたが本当にうれしかったのです。

MRIの検査の前に少しだけ会うのにNを三重から呼ぶことはできませんが,Mちゃんは世田谷に住んでいるし,フリーのライターなのでもしかしたら都合がつくかと思い連絡したのです。

東大病院のドトールで待っているとMちゃんがやってきました。

Mちゃんは非常に明るい人ですが,実はガラスの心を持っていて,癌の私に合うことで負担になったらどうしようと思っていました。

しかしMちゃんは私が東大病院で手術できそうなことをとても喜んでくれて,私もうれしくなっていっぱい話しました。

話している時,病院の放送が聞えましたが,ドトールのざわめきと音楽でよく聞こえませんでした。

MちゃんとさよならをしてMRIのところへ行くと,受付の人が少し困惑したように言いました。

「MRIは普通のものと,一つ高度なものがあって,出来れば2つとも受けてほしいのです。」

「それには時間がかかるので,あなたが午前中に外来手続きを取っていることがわかり,すぐに何回も放送したのです。」

「お昼すぐの人がキャンセルになったのでこの時間から開始すれば夕方には終わると思ったのですが・・・。」

「結局お見えにならなくて時間通りになってしまったので,終了は夜遅めになってしまうと思います。」

と言われたのです。

私はびっくりしました。

MRIを2つ受けることも知らなかった。

今日遅くなることも知らなくて子供たちに段取りもしてない。

Mちゃんとの話に夢中になって放送を聞き逃した。

様々なことが一気に私の頭に流れ込んできて「どうしよう!」で頭がいっぱいになりました。

しかし,検査の人は今すぐ始めましょう,という感じで考える間もなく検査が始まりました。

子供の段取りどうしようと思いながら1つ目のMRIが始まりました。

このMRIはこれまでつくばメディカルセンター病院で受けたMRIと特段変わりなく終了しました。

続けて2つ目のMRIに移るというとき,家に連絡させてほしいと願い出ました。

そして旦那に子供の事を頼み,また検査に戻りました。

2つ目のMRIは今思い出しても本当に大変だったと思います。

「呼吸」がものすごく重要なのです。

呼吸が合ってないと何回も何回もやり直しなのです。

検査の医師も大変だとは思いますが,本人も何が何だか,どこが悪いのかわからず,泣きたい気持ちになりました。

もう何回やり直したかわかりません。100回くらいやった気がします

頭がもうろうとなってきました。

呼吸=息を吸って吐く事=がとても難しい行為になってきました。

そんな時,

「あ。はい。今うまくいきました。念のためもう一回。」

「ああ。これでいいでしょう。お疲れ様でした。」

やっと終わりました。

どうやったからうまくいったのか結局わかりませんでした。

でももう終わったのでわからなくてもいいやと思いフラフラで部屋を出ました。

部屋を出て時計を見たら,19時でした。

もう会計はしまっていて夜間窓口で会計して帰りました。

本当に大変な1日でした。

数日後,PET検査を受けて(これはあっさりと終わりました)すべての検査が終わりました。

いよいよ手術を待つのみです。(まだできるという確定はもらっていませんが。)