子育てと闘病を両立する方法。

大腸がんステージⅣの闘病と子育てを両立させ最終的に完治した闘病記を記します。

重病人が電車で病院に行く。

退院後3日で腹のチューブから大量の膿がどくどくと出てき始めて熱が40℃になりました。

その時,私と新居浜おばあちゃんしか家にいませんでした。

「ああ。これは病院に行けるのか?」

「東大病院は遠すぎる。」

「つくば市内ならすぐ行けるのに・・・。」

と思いながらも東大病院に電話をして主治医のT先生につないでもらいました。

T先生は,

「すぐに来てください。見ないとわからないので。」

とおっしゃいました。

新居浜おばあちゃんと病院に行くしかないかと思いましたが,おばあちゃんは免許を持ってないし私もとても運転できる状態ではありません。

そこで,前の家のご夫婦に駅まで送ってもらえないか頼みました。

すると前の家のご夫婦が出てきて,

「送るのは全く構わないし,なんでもしますが。」

「でもとにかくまずはご主人と東大病院に行く方がいいと思います。」

「お母様(新居浜おばあちゃん)は子供たちのお世話をされた方がいいでしょう。」

「この病状の人を東京まで連れていくには荷が重いでしょう。」

とおっしゃいました。

全くその通りです。

私たちは突然の出来事に思考回路が混乱していたようです。

まずは旦那でしょう。

ここまでもいつも旦那と二人三脚だったのですから。

そして旦那に電話をしたら,すぐに帰ってきました。

この時点で私たち3人とも,「また入院」と疑いなく思っていました。

旦那と私の大冒険でした。

今にも倒れそうなこの状態で果たして東大病院に行けるのでしょうか?

つくばエクスプレスに乗って新御徒町で大江戸線に乗り換えて2駅目の本郷三丁目まで行かなければいけません。

ホームに上がって倒れそうになり,電車に乗って倒れそうになり,電車を乗り換えて倒れそうになり・・・。

何回もうずくまりました。

旦那は背中をさすりながら,「もう少しだけ頑張れ!」と言って引っ張るように私を動かしました。

そして何とか東大病院に到着したのです。

休日だったので,入院棟の入り口から入って右手にある救急窓口で手続きをしました。

東大病院は救急病院ではないので人はほとんどいませんでした。

つくばメディカルセンター病院とは全然違うなと思いました。

すぐにT先生がやってきて

「こちらに来てください」

とおっしゃってついて行くと,奥に手術室のような大きな部屋がありました。

あなたはもしかして東大病院に行ったことがあるかもしれません。

しかし,この救急外来の小さな入口の奥に,手術室みたいな大きな部屋がある事は知らないでしょう。

「こんな部屋があるんだ。この部屋知ってるの私くらいかも。」

と熱でうなされながらもラッキーみたいな気持ちになりました。

そしてT先生はその大きな部屋の真ん中にあるベットに向かって,

「ここに横になってください」

とおっしゃいました。

そこに横になるとは手術するということなのか?と少しひるみました。

しかし先生一人で手術するわけがないのでおとなしく横になりました。

そしてガーゼを取って膿でいっぱいのチューブ近辺を確認した後,

「このまま点滴します。」

「熱は解熱剤で下げましょう。」

「1時間かかります。」

「そして今日は帰宅してまた明日来てください。」

「明日は日曜日なので同じようにこの部屋で処置します。」

「救急窓口に来てください。」

とおっしゃったのです。

信じられません!!

この状態で帰宅するですと!!

「先生。私は入院するかと思って支度してきたのですが。」

と言うと,T先生は,

「化膿して膿が出るのは想定内です。化膿しているのだから熱も出ます。」

「このようなことを繰り返しながら,だんだん回復していくのですよ。」

「すべて治るまで入院とかありえません。」

とおっしゃいました。

いや全く,東大病院は重病人のための病院ですね。

つくづく思い知りました。

点滴が終わって旦那のところに行くと,旦那は,

「点滴したんだよね。どうするって?」

私:「今日は帰れって。そしてまた明日来いって。」

旦那:「うーん。さすが東大・・・。」

と言いながら,会計をして帰りました。

解熱剤を入れたおかげで帰りは楽でした。