大変な手術。東大病院だからこそ。(その2)
そうなのです。
こんなに周りは賑やかしいのに私は1mmも自分で動いてないのです。
次第に「少し妙だな」と思い始めました。
つくばM病院の時は一般病棟に移ったら,チューブに繋がれていますが少しは体を動かせました。
頭を少し横にしたり,手の指を動かして布団の感触を確かめたり・・・。
しかし,ここではそのような事すら自力ではできないのです。
私は不安になって旦那に話しました。
「今までの手術と違って,全く動けない。1mmも動けない。意識はしっかりしているのに体がばらばらのようだ。」
すると旦那は,
「あのね。今までの手術と全く違うんだよ。今回ものすごい大手術だったの。」
「肋骨折って,ワイヤーで肝臓引き上げて,それだけでも大変なのに,ラジオ波焼灼法の癒着で予定時間より長くかかったんだから。」
「待ってる俺が,辛かったもん。長すぎて。」
「東大病院だから,というか国土先生グループのS先生だからできたんだと思うよ。」
「1mmも自力で動けなくて辛くても,我慢するべきだね。」
と,まるで自分が手術して手柄を立てたように言い放ちました。
しかし,手術がどのようなものだったのか今まで知らなかったので,今旦那に聞いて少しびっくりしました。
今までの手術に比べて術後のダメージがひどいのも納得できました。
そして,そうならば硬膜外麻酔を抜かれた後の痛みがひどいだろうと予想でき,少し怖くなりました。
しかしまあ。
手術できたのです。
しかも大手術です。
手術できないと言われていたのに,全く奇跡です。
術後のダメージがこれまでよりきついのはある意味当然です。
そうならばこの苦しみ自体が喜びと感じるようになりました。
苦しみと喜びは表裏一体。
死が目前にあるからこそ生を強烈に感じることができるのです。