子育てと闘病を両立する方法。

大腸がんステージⅣの闘病と子育てを両立させ最終的に完治した闘病記を記します。

癌。そういえば不思議なことがあった(その2)

前回は通りすがりの女性に身近な人がなくなるかも,と言われたことを書きました。

それから半年後に緊急入院になるのですが,そもそもその日夜間病院に行ったのは腹痛が原因でした。

「えっ!?私も癌?」はこちら(リンク)↓↓↓

 

calendura2009.hatenablog.com

 

その腹痛は癌のある上行結腸ではなくてそこから少し離れたところの便秘が原因だったのです。

でも便秘とは思えない痛みで病院に行ったことで大腸癌が見つかったのです。だいぶ進んでいましたが。

目に見えない何かが

「もういい加減気づけよ!バカなんじゃないの?しょうがない強硬手段だ!」

と言って病院に強制的に連れ出したかのようです。

これ以降この目に見えない何かがあらゆる局面で道案内(というか強引な流れ)をしてくれるのです。

抗癌剤の時も,アバスチンという薬が手術後すぐに認可されたり(これに関してはあとで書きます),

2回目の手術の時高熱でうなされ「もう死んだ方がまし」という悪夢を見て,この手術良くなかったかもと直感でわかったり,

東大病院に転院して即手術(3回目)の時は何者かに強引に流されているかのようだったり,

書ききれませんがとにかく重大な局面でこの目に見えない何かが働くのです。

私はこの者に「イッシー」という名前を付けました。

「医師」からイメージしてかわいい名前にしたのです。

でも名前を付けたのは東大病院に転院してからでそれまでは「目に見えない何か」と呼んでいました。

「目に見えない何か」は入院中の私に面白い映像を見せてくれました。

初め目の前がだんだんとマゼンタピンクに変わってきてそれが流れるようなイメージになってくるのです。

流れるようなイメージになったらマゼンタピンクの中に他の調和のとれた美しい色(金色とか紫とか)が流れに入ってきてそれは美しい色のショーなのです。

でももしかしてずっと絶食で点滴の生活で幻覚を見ているのかもと思い一応看護師さんに相談しました。

看護師さんは

「いきなり環境が激変して,点滴のみの生活で体の環境も激変しているし,ステージの進んだ癌の人は感覚が鋭くなるのでそういうこともあるかもしれないですよ。幻覚ではないと思います。でも一応そういう時はベットに横になりましょうね」
と言ってくださいました。

この幻覚のような映像を見たら一時的に気分がよくなるので結構楽しみでした。

今は全くこの映像は見えませんが,あれまた見たいな~とたまに思います。

あれからマゼンタピンクが私の大好きな色になったのです。

「イッシー」と名付けた「目に見えない何か」は東大病院がとても好きなようで,東大病院に行くとなぜかほっとします。

三四郎池という池があるのですがここがことのほか好きなようで,今でも東大外来の時は必ず三四郎池に行きます。

そこに行くと「イッシー」は木々の中に飛んでいって遊んでいるような感覚がします。

東大病院以外の病院に行くと私はとても落ち着かなくなって「病院は嫌だ。早く帰りたい」

と思うのですが,東大病院だとずっとここにいたいという気分になります。

ああ,もう一つ不思議なことを思い出しました。

3回目東大病院での手術の時,手術の執刀医のS先生の声で

「生食~cc!」とか「カテーテル取って!」とか,なぜかバカみたいな冗談とかざわざわした声がが聞こえました。

また私の旦那の声で

「首のところに湿疹がありますね。麻酔のアレルギーでしょうか?」という声も聞こえました。

このことを後でICUの看護師さんに言うと

「えっ! S先生冗談を言いながら手術をするのよ。誤解しないでね。手を抜いているわけではないのよ。」

「それから旦那さんとは手術の直後に私とその会話をしたのよ」

「でも麻酔がかかってるし,特に手術中は間違いなく麻酔がかかっているわけだから不気味ね。ありえないわ。」

とおっしゃいました。

癌の時は色々な不思議なことが起こりました。

決して私は気がふれていたわけではないので誤解しないでくださいね。

不思議なことは別になくてもいいのですが,「強引とも思えるような流れ」は非常に大切です。

このような流れに乗れるかどうかがその後の治療を左右すると思っています。

医師任せ,周りの人任せ,あるいは逆に頑固に自分の考えを主張する,という態度の時はこの流れに乗れないような気がします。

「主体的だが手放した状態」←難しいです

この状態が大いなる流れに乗れるコツだと思います。